キューバを知る会・大阪

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『わが夫、チェ・ゲバラ 愛と革命の追憶』
アレイダ・マルチ著  後藤政子訳 朝日新聞出版 1900円+税
 
ソダーバーグ監督の映画『チェ 28歳の革命』をご覧になられた方は、この
アレイダ・マルチが登場してきた場面をご記憶でしょうか。半裸の彼女が体に
貼られていた絆創膏をはぎ取られるという場面があります。実はあのエピソー
ドは、彼女の活動家としての任務に深く関わるものだったことが、この本を読
めばわかります。
 アレイダはゲバラの妻であると同時に、彼を知る以前からキューバ革命のた
めに身を献げてきた女性でした。彼女はカルヴァン派のプロテスタント教会に
通っており、その教会の信者を通じてカストロの「七月二十六日運動」を紹介さ
れ、その運動に加わったという経緯が記されています。したがって、当初はコ
ミュニストではなく、また山岳ゲリラでもありませんでした。彼女は「リャノ」
と呼ばれる都市の活動家でした。キューバ革命といえば、もっぱら山岳でのゲ
リラ活動の視点から語られることが多いのですが、この著書においては、彼女
の活動を通じて「リャノ」の状況の一端が描かれています。
 冒頭のエピソードは、都市と山岳、この二つの地域の運動の結びつきを示す
ものであり、またアレイダとチェの私的な関係の萌芽でもあります。
 ゲバラが追求した「新しい人間」について、この本でもいくつもの箇所で述
べられています。たとえば、「自発労働」こそが「政治的文化的な人間形成」に
つながるものであり、これが「新しい人間」の基礎である、と。妻というチェ・
ゲバラの最も近しい存在として、彼のいくつかの欠点も指摘しながら、その革
命への情熱、高い倫理性、そして家族への愛について、変わらぬ愛情とともに
描き出されています。

[本の紹介]

革命の侍
――チェ・ゲバラの下で戦った日系二世フレディー前村の生涯
(2100円 長崎出版 2009年8月)

ボリビアで生まれた日系二世フレディー前村は幼い頃から助け合いの精神を持ち、貧しい人々が医療をうけやすくなるようにと願い医師を志しました。キューバ政府の奨学金を受け留学生としてハバナに渡った彼はゲリラとして故郷ボリビアへ。チェ・ゲバラからは「医師(メディコ)」と呼ばれ、共にゲリラ闘争に身を投じましたが、ボリビア政府に25歳で殺害されました。遺体は99年に発掘され、他のゲリラと一緒にサンタ・クララの霊廟に安置されています。
著者は彼の姉とその長男です。フレディー前村の遺族は革命が失敗に終わったのでその後、軍政から長い迫害の中で過ごしました。しかし彼が「忘却」されることに耐えられず、肉親フレディーの歴史的記憶を奪回し歴史の中で正当な位置を占めさせようと必死に努力しました。
フレディーは「少年時代から、不屈の精神、責任感、正義感が際立っていた」と初めに書かれています。遺族なのでどうしても良く書きがちだとしても、彼を知る証言が具体的に語られています。読み進むとフレディー前村とチェが重なってくるのが不思議です。そして同じ日本人として誇らしくなってきました。彼らのボリビア革命が失敗したので参加した人々の事を深く知ろうとは思いませんでしたが、チェと共にゲリラとして選ばれる事そのものがすごい事なのだと改めて尊敬の念を抱きました。本書はページ数が結構ありますが、日本からの移民の様子やボリビアの情勢も書かれて読みやすいのでお勧めです。

56回目の革命記念日おめでとう!!

1953年7月26日、カストロが率いる反乱グループが、サンティアゴ・デ・クーバにあるモンカダ兵営を襲撃した。

襲撃の目的は兵営の武器を奪い、ラジオ放送でバティスタ政権を打倒することを国民に呼びかけることだったが、襲撃は失敗し、グループの青年たちの多くが捕らえられて殺された。

この裁判でカストロは被告席から裁判官に向かって『私に有罪を宣言せよ。ここでの判決に意味はない。歴史が私を赦免にするであろう』と演説した。

このモンカダ兵営襲撃を記念してこの日を革命記念日としている

ここでちょっとキューバの歴史を!!

 

スペインによるキューバの統治は400年あまりに渡って続きました。

するとやがてキューバ生まれのスペイン人が生まれてきました。

「クリオージョ」と呼ばれる彼らには次第にキューバ人としての感情が強くなってきました。そしてスペイン王国からの無理な要求に反発を覚える人も出てきました。

そしてスペインからの独立の動きが始まったのが1867年ごろ、カルロス・マヌエル・セスペデスやアントニオ・マセオらを中心としてでした。10年にわたったこの戦争は、反乱軍は敗北しスペインとの妥協を強いられました。

その後ホセ・マルティらに引き継がれ1895年に独立戦争が開始されました。以前からキューバに野心を持っていた米国がスペインに戦争を仕掛け米西戦争開始し米国はスペインを惨敗させました。。

1902年キューバはスペインから独立しましたが今度は米国の保護国となりました。グアンタナモ基地を置くことを承認させられ、米国の政治介入がずっと続くことになりました。

キューバ政府は米国寄りの政治家が大半を占めていました。それから半世紀あまり、キューバは「米国の裏庭」、そしてハバナはカジノが林立するマフィアと売春の温床となっってしまいました。

その状況をなんとか変えようと立ち上がったのが、フィデル・カストロでした。

1953年にサンティアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営襲撃から始まった革命戦争は数々の困難の末に1959年1月1日、パティスタの逃亡を持って勝利をおさめました。

今年は東部のオルギンで記念式典が開催されました。

海外ニュース(キューバ)に詳細がありました。参考までに

  

 

 

1953年7月26日、カストロが率いる反乱グループが、サンティアゴ・デ・クーバにあるモンカダ兵営を襲撃した。

襲撃の目的は兵営の武器を奪い、ラジオ放送でバティスタ政権を打倒することを国民に呼びかけることだったが、襲撃は失敗し、グループの青年たちの多くが捕らえられて殺された。

この裁判でカストロは被告席から裁判官に向かって『私に有罪を宣言せよ。ここでの判決に意味はない。歴史が私を赦免にするであろう』と演説した。

このモンカダ兵営襲撃を記念してこの日を革命記念日としている。

ピノシ島にあるモデロ刑務所に収監されたが、1955年に保釈され、メキシコに亡命して革命勢力を準備する。